近代化・国際化

Modernização e Internacionalização


スポーツ化や様式化を経て、カポエイラは再体系化・再評価され、社会からスポーツ・大衆文化として認識されるようになりました。今や国際化が進み、日本各地でも多くの団体が活動し、世界にまたがる国際連盟も設立されています。

スポーツ化 Esportivização

20世紀初頭のリオデジャネイロ市でカポエイラを体技として捉えた『Guia do Capoeira ou Gymnastica Brazileira』(ODC, 1907)[1] のような手引き書が出版され、当時リオのカポエイラの技などが解説されました。バイーア州のサルヴァドール市で近代スタイルが出現する前に、リオデジャネイロ市でカポエイラの競技化が試みられていました。

ODC. Guia do Capoeira ou Gymnastica Brazileira. Rio de Janeiro, 1907.

組織化 Institucionalização

1941年に設立されたばかりのブラジル・ボクシング連盟(Confederação Brasileira de Pugilismo)に《ブラジル流格闘技》(Luta Brasileira)の名称でカポエイラを担当する部署が設置され、その後、サンパウロ州カポエイラ連盟(Federação Paulista de Capoeira)を皮切りに、1970年代から各州にカポエイラの連盟が設立され、競技化を目的とした【カポエイラ・デスポルチバ(Capoeira Desportiva)が具体性を帯び始めたのです。そして1992年にブラジル・オリンピック委員会(Comitê Olímpico do Brasil)に加盟している「ブラジル・カポエイラ連盟」(Confederação Brasileira de Capoeiraが結成されました

様式化 Estilização

20世紀前半のサルヴァドール市で、武術的色彩が強い【カポエイラ・ヘジョナウ】(Capoeira Regional)の創始者メストリ・ビンバがカポエイラ史初の道場「Centro de Cultura Física Regional da Bahia」(バイーア地方体育センター)を創設し、伝統的なスタイルとされる【カポエイラ・アンゴラ】(Capoeira Angola)をまとめたメストリ・パスチーニャ(Mestre Pastinha)が「Centro Esportivo de Capoeira Angola」(カポエイラ・アンゴラ・スポーツ・センター)を設立したことで、近代カポエイラを代表する2大スタイルが開花したのです。

Mestre Bimba, Capoeira Regional & Mestre Pastinha, Capoeira Angola.

道場(academia)の登場により、カポエイラの舞台は犯罪の温床とされたストリートから室内へと移り、悪いイメージが徐々に薄れてい行きました。その後、20世紀後半には、サンパロ市やリオデジャネイロ市などの主要都市でカポエイラの普及が進み、【カポエイラ・コンテンポラニア】(Capoeira Contemporânea)、いわば《現代風》(コンテンポラリー)スタイルも多く出現しました。また、近年ではプロテスタント教会布教活動を目的としたカポエイラ・ゴスペ】(Capoeira Gospel)も目立ち始め、アフロ文化の再認識や多様性・表現の自由を主張する他のスタイルに対して、アフリカ由来の特徴を排除する保守的なグループの姿勢が際立ちます。(各スタイルについてはこちら

大衆化 Popularização

1953年には、ナショナリズムとポピュリズムを掲げた当時のヴァルガス大統領にメストリ・ビンバがカポエイラ・ヘジョナウを披露し、ブラジル政府がカポエイラを認めた象徴的な出来事とされました。[2] カポエイラを含むアフロ文化全般に世間の風当たりが和らぎ、サンバ・ジ・ホーダ(Samba de Roda[3] やマクレレー(Maculelê)などを交えたフォークロア・ショーで、カポエイラのパフォーマンス性が重要視されるようになっていきました。

Mestre Bimba & Getúlio Vargas, Salvador, 1953.

ブラジルの映像の鬼才グラウベル・ローシャ監督の『Barravento』(Glauber Rocha, 1961)[4] や第15回カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作品『O Pagador de Promessas』(Anselmo Duarte, 1962)[5] カポエイラやサンバ・ジ・ホーダのシーンが使われ、カポエイリスタ(カポエイラ使い)が初めて主人公になった『Cordão de Ouro』(Antonio Carlos da Fontoura, 1977)[6] などの映画によって、大衆文化(ポピュラーカルチャー)としてカポエイラの認識が高まっていきました。

また、1989年にテレビドラマ化されたジョルジェ・アマードの著書『砂の戦士たち』(Jorge Amado, 1937)[7]、バーデン・パウエル作曲とヴィニシウス・ジ・モイス作詞の名曲『Berimbau』(Vinicius de Moraes & Baden Powell, 1962)[8]、画家カリベー(Carybé)や写真家ピエール・ヴェルジェ(Pierre Verger)の作品を通じて、カポエイラは20世紀後半に多分野にわたり注目を浴びました。

国際化 Internacionalização

1966年には、ブラジル代表団のメンバーとしてメストリ・パスチーニャ率いるカポエイラ・アンゴラ御一行はセネガルの首都ダカールで開催された「The first World Festival of Negro Arts」(第一回国際ブラック・アート・フェスティバル)に参加し、カポエイラのルーツがあるとされるアフリカでパフォーマンスが初めて行われた意義深い海外遠征になりました。

Mestre Pastinha (first at right) & Capoeira Angola delegation, 1966.[9]

1970年代にヨーロッパやアメリカでフォークロア―ショーのツアーに参加したカポエイリスタが外国で拠点を築くことに成功し、カポエイラの本格的な海外進出につながりました。国際化と共に、独自のスタイル化を遂げた多くの団体はカポエイラの多様性を広め、アンゴラとヘジョナウの二極化やコンテンポラニア以外の体系化が新たな課題となっています。[10]

Only the Strong (1993) & Tekken (1998).

1990年代では、カポエイラを題材にしたハリウッド映画『Only the Strong』(Sheldon Lettich, 1993)[11] やキャラクター「エディ・ゴルド[12] の格闘技スタイルにカポエイラが使われたゲームソフト『鉄拳3』(Bandai Namco, 1998)などの作品が世界中にカポエイラを広めた起爆剤になったと言えます。

今では150ヶ国以上にカポエイラの団体があり[13]、1995年には日本初のカポエイラ団体「カポエイラ・ヘジョナル・ジャパン」(Associação de Capoeira Mestre Bimba Japão)が設立され、現在は北海道から沖縄までさまざまなスタイルのグループが活動しています。日本国内のカポエイラ団体をまとめる試みとして、ブラジル人指導者を中心に「日本カポエイラ連盟(協会)」(Liga Japão de Capoeira)が2005年に設立され、主に関西・中部のカポエイラ・グループで競技大会が開催されましたが、1年足らずで活動修了したようです。[14]

国際的な連盟としては、ブラジル・ポルトガル・カナダ・アルゼンチンの4カ国のカポエイラ連盟によって1999年に結成された「国際カポエイラ連盟」Federação Internacional de Capoeiraや、2011年に北欧エストニアに本部を設置した「世界カポエイラ連盟」(World Capoeira Federationの2つの国際連盟があり、どちらもカポエイラの競技化・オリンピック種目入りを目指しています。

Texts of Brazil - カポエイラ

2008年にブラジル外務省が発行する冊子Texts of Brazil』(葡・英・仏・西)第14号でカポエイラが特集され、歴史・近代化・国際化・伝統・教育などの幅広いテーマについて研究者やメストリ等が寄稿し、カリベー(Carybé)のイラストやピエール・ヴェルジェ(Pierre Verger)の写真も掲載されました[15]

Texts of Brazil - カポエイラ, 2010.[16]

2010年に駐日ブラジル大使館が上記の冊子『カポエイラ』の日本語版を配布し、和訳したことは評価すべきですが、ホームページ上でカポエイラを伝統文化ではなく《スポーツ》として言葉足らずに「2人の競技者が足と頭だけを使って(手を使うことは禁止されている)殴りあうスポーツ」などと誤解を招くような説明文を掲載しているのは非常に残念です。[17]

カポエイラの漫画 Mangá de Capoeira

週刊ヤングジャンプで2008年から2016年に連載され、コミックスは全49巻の累計発行部数1000万部超のヒットを記録中(2022年7月時点)の『嘘喰い』で知られる人気漫画家の迫稔雄氏は、本場ブラジルでもコミック化されていないカポエイラを題材にした世界初の漫画『バトゥーキ』の連載を2018年7月から開始しました。ストーリーは女子中学生の三條一里(さんじょういちり) の出逢いと解放を描いた比類なき青春バイオレンス大河で、カポエイラの技・歴史・音楽・哲学などにも触れ、圧倒的な画力で描写される臨場感溢れる戦闘シーンは必見です。

下記の公式サイトにて連載・発刊中!

参考資 Referências

脚注 Notas

  1. ODC.(Ofereceço, Dedico e Consagro à distinta mocidade). Guia do Capoeira ou Gymnastica Brazileira, 2a.ed. Rio de Janeiro: Livraria Nacional, 1909.

  2. Vieira, Luiz Renato; Assunção, Mathias Röhrig. Os desafios contemporâneos da capoeira. Ministério das Relações Exteriores: Revista Textos do Brasil: Edição nº 14 - Capoeira, 2008.

  3. UNESCO: 2008 Representative List of the Intangible Cultural Heritage of Humanity: The Samba de Roda of the Recôncavo of Bahia.

  4. Rocha, Glauber. Barravento. Iglu Filmes, 1961.

  5. Duarte, Anselmo. O Pagador de Promessas. Cinedistri, 1962.(日本語タイトル「サンタ・バルバラの誓い」)

  6. Fontoura, Antônio Carlos da. Cordão de Ouro. Lanterna Mágica; Alter Filmes; Embrafilme, 1977.

  7. Amado, Jorge. Capitães da areia. Rio de Janeiro: Livraria José Olympio Editora, 1937.

  8. Vinicius de Moraes (www.viniciusdemoraes.com.br): Berimbau.

  9. Camafeu de Oxossi, Roberto Satanás, Gildo Alfinete, João Grande, Gato, Mestre Pastinha.

  10. Falcão, José Luiz Cirqueira. A internacionalização da capoeira. Ministério das Relações Exteriores: Revista Textos do Brasil: Edição nº 14 - Capoeira, 2008.

  11. The Internet Movie Database: Only the Strong (1993).

  12. The king of ironfist tournament 3: Eddy Gordo. Bandai Namco, 1998.

  13. Adinolfi, Maria Paula Fernandes. Registro da Capoeira como Patrimônio Cultural do Brasil. Ministério da Cultura: Instituto do Patrimônio Histórico e Artístico Nacional (IPHAN): Parecer n° 031/08. Salvador: 2008.

  14. 日本ブラジル中央協会会報『ブラジル特報』 2007年5月号掲載魅力あふれるカポエィラの世界』政岡 勝治(芦屋大学教授 経営学博士)

  15. Ministério das Relações Exteriores: Revista Textos do Brasil.

  16. 駐日ブラジル大使館>文化>スポーツ>Texts of Brazil - カポエイラ

  17. 駐日ブラジル大使館>文化>スポーツ